まあ、誰かの為とかじゃなくて、どちらかというと自分のためでしょうか?
もしかすると、誰か一人でも、心が少し軽くなったと思ってくれたら自分的には良しと思いたいです。
去年の暮れに還暦を迎えて、そうですね、おまけの人生みたいなものですから。
自分のことで恐縮ですが年を重ねて頑固ジジイになりたくはないです。
少しでも心は開いていたいものです。
袖振り合うも他生の縁という言葉を聞いたことがあるんですが、二十歳の頃ですから40年も昔のことです。当時は夜間のバイトをしていて、その時に知り合った亜細亜大学の学生と仲良くなって行動を共にしていた時のことでした。
バイトの終わる時間が朝6時だったので帰って一眠りしてから彼は大学に入っていたのですが私も一緒に行っていたのです。といっても私は一般人で学生ではありません。
何故かというと学食が目当てでした。とにかく安くて量もありました。その後、時間つぶしに講義を受けていたというか聞いていたという感じでした。
妙にその時に漢字を間違えた事が印象に残っているんです。
恥ずかしい話ですが「袖振り合うも他生の縁」という字を間違えていたんです。
「袖振り合うも多少の緑」と書いていたんです。
私的には多い少ないと言う意味の方がしっくりくるのですが、この他生という意味は簡単に言うと前世に関わりがあったという意味で、そんな言葉が日本語なのかと凄く驚いたのを覚えています。
普段使っている言葉でも奥深いというか、難しいというか、日本語って凄いなって思ってしまいました。
袖振り合うも他生の縁という言葉を聞いたことがあるんですが、二十歳の頃ですから40年も昔のことです。当時は夜間のバイトをしていて、その時に知り合った亜細亜大学の学生と仲良くなって行動を共にしていた時のことでした。
バイトの終わる時間が朝6時だったので帰って一眠りしてから彼は大学に入っていたのですが私も一緒に行っていたのです。といっても私は一般人で学生ではありません。
何故かというと学食が目当てでした。とにかく安くて量もありました。その後、時間つぶしに講義を受けていたというか聞いていたという感じでした。
妙にその時に漢字を間違えた事が印象に残っているんです。
恥ずかしい話ですが「袖振り合うも他生の縁」という字を間違えていたんです。
「袖振り合うも多少の緑」と書いていたんです。
私的には多い少ないと言う意味の方がしっくりくるのですが、この他生という意味は簡単に言うと前世に関わりがあったという意味で、そんな言葉が日本語なのかと凄く驚いたのを覚えています。
普段使っている言葉でも奥深いというか、難しいというか、日本語って凄いなって思ってしまいました。
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